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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)9020号 判決 1961年7月19日

判  決

東京都千代田区麹町一丁目一〇番地

富士銀行麹町家庭寮内

原告

内藤暁

右法定代理人親権者父

内藤修

内藤三重子

同所

原告

内藤修

同所

原告

内藤三重子

右三名訴訟代理人弁護士

藤林益三

島谷六郎

山本晃夫

東京都渋谷区代々木初台町五六五番地

被告

東洋交通株式会社

右代表者代表取締役

西村勇夫

右訴訟代理人弁護士

篠原千広

主文

被告は原告内藤暁に対し金一〇万円、原告内藤修及び原告内藤三重子に対し各金一万円と、それぞれこれに対する昭和三五年一一月一〇日から支払済まで年五分の割合の金員を支払え。

原告内藤修、内藤三重子のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は訴状貼用印紙の三分の二を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

第一項の部分は仮に執行することができる。

事実

(一)  原告らは別紙請求の趣旨記載のような判決と仮執行の宣言を求め、請求原因記載の事実を陳述した。被告は答弁の要旨記載のように陳述し、原告は被告の主張事実を否認した。

(二)証拠関係(省略)

理由

(一)  傷害の発生。  原告主張の日時、場所において、原告内藤修及び三重子の二男である原告内藤暁(当時三年三月)に対し、被告会社の被用者たる運転手島田和義が被告会社の業務執行につき、その操行している自動車を接触させ、傷害を加えたことは争いがない。(証拠)によれば、原告内藤暁は右自動車の接触の結果、左大腿骨々折の傷害をこうむり、即日九段坂病院に入院し翌日東京厚生年金病院に転院して必要な手術、治療を受け同年三月一五日頃軽快して退院し、その後一、二回通院の後、同年七月再度所要の手術を受けるため約一週間の入院を了したもので、その結果、歩行その他の機能には障害はなくなつたが、左大腿部には顕著に隆起した二個の手術の痕跡を残していることが認められる。

(二)  島田和義の過失及び自動車損害賠償保険法三条の免責の有無。

(証拠)を綜合すると次の事実が認められる。即ち、島田はその運転する自動車に乗客を乗せ、富士銀行家庭寮前の道路を北側の端まで操行し、そこで停車して乗客を降ろした後、後退しようとして操縦席から振り返り、背後の窓を透して後方の道路上を見た際人影が見えなかつたので、支障はないものと考え、そのまま後方に十分の注意をせずに後退をした。ところがその間にその後方の家庭寮の中央階段あたりにいた原告内藤暁が車の後方約七、八米の道路上に出ていたため右自動車の後部を同人に接触させ前記のような傷害を加えたものである。右道路は家庭寮北側の表道路から入つた道路で寮の向側は富士銀行児童遊園地との間の道路である結果、家庭寮に居住する児童が右道路上に出て来る危険のあることが自動車の運転手にとつても容易に考え得る場所である。かかる危険の予想される場所で後退の始め、単に操縦席から後方を振り返つて後方に人が見えるかどうか確かめただけで後退してよいと考えられるような特別の事情があつたことはなんら認めるべき証拠もないのであるから、島田が、単に前記のように操従席から振り返つて後方道路上の有無を見ただけでそれ以上の十分の注意をせずに後退をしたのは、自動車運転手として必要な注意義務を怠つたものであり、前記傷害は同人の右過失によるものと認めざるを得ない。

被告は自動車損害賠償保険法三条による免責を主張するが、同法条の免責は、同条摘記事実がすべて具備した場合にのみ生じるのであるから、運転者たる島田に過失がある以上、同条の免責を生じるいわれはない。

(三)  慰藉料。

原告内藤暁は当時三年三月の幼児ではあつてもそれ相当の驚愕と苦痛を受けたことは原告内藤修及び三重子の各供述に照し明らかであるのみならず、冒頭掲記の証拠によれば前記傷害の痕跡は容易に消えがたい程度のものと認められ、その痕跡の存在は、同人が将来成長し羞恥感情が発達するにつれて相当の苦痛を増すものと認められるから、被告は民法七一五条に従いこれが慰藉料を支払うべさ義務を免れない。又、原告内藤修及び三重子の各供述によれば、右両名は、原告暁が幼児であるだけに、事故発生以来、その傷害の程度につき深刻な下安におそわれ、入院通院等のため多大の心労を重ねたことが認められ、傷害そのものに対する現実の不安痛苦の点からいえば、むしろ原告暁に幾層倍する精神上の苦痛を被つたことを推察するに難くなく、かような精神上の苦痛につき、被告は民法七一五条に従い慰藉料の支払義務あるものというべきである。被告は民法七一一条を引いて、父母たる原告修及び三重子には慰藉料請求権はないと主張するが、同法条は子に生命侵害がなく単に身体に傷害を受けた場合であるからといつてその父母に常に慰藉料請求権がないことまで規定しているものではなく、たとえ子の被害が身体傷害に止まる場合でも、その父母の受けた精神上の苦痛が社会観念上慰藉料の支払を相当とする程に重大痛切なものである場合には、その苦痛が爾後において慰藉され慰藉料の支払が不要に帰したものと考えられるような場合は格別とし、父母において民法七〇九条、七一〇条によりその精神上の苦痛に対する慰藉料を請求することを妨げるものではないと解すべきである。本件の場合原告修及び三重子の被つた前記精神上の苦痛をもつて、慰藉料の支払を不相当とするものとは考えられないし、その支払が不要に帰したものと断定しなければならぬ程の事情も認められないから、被告の主張は採用できない。

よつてその慰藉料額について按ずるに、(証拠)によれば、被告会社は二五〇台位の自動車を持ちタクシー営業をしている会社であること、原告内藤修は右傷害の治療のため約六万円の出費をなし被告会社はその内四万円を支払つていることが認められ(尤も原告内藤修は財産上の損害については別段の請求はしないものと認められる)一方本件事故の発生については、検証の結果によれば、事故発生の道路は自動車の往来の閑散な場所であることは認められるが、それだからといつてたまたま通行する自動車に触れ傷害を受ける危険がなくはないことは本件事故の示すとおりであるところ、原告暁は未だ三年三月の幼児で十分その危険の認識を欠き放置しておけば独りで道路に出て通行する自動車に接触する危険がないではないのであるから、その父母である原告内藤修及び三重子はかような危険が生じないようにする親権者としての監督上の注意義務があるところ、原告内藤三重子、証人長峰敏子の各供述によれば右原告両名は右注意義務を怠り原告暁が独りで路上に出るにまかせた過失があるものと認められる。よつて以上諸般の事情、原告内藤修および三重子の右過失を斟酌し、原告内藤暁に対する慰藉料額は金一〇万円、原告内藤及び三重子に対する慰藉料額は原告暁が右慰藉料の支払を受ける事実をも斟酌に加えた上各金一万円をもつて相当と認める。

(四)  結論

以上の次第で被告は原告らに対し各右認定の慰藉料とこれに対する記録上明らかな訴状送達の翌日の昭和三五年一一月一〇日から支払済まで民法所定年五分の割合の遅延損害金を支払う義務務があるから、原告らの請求は右の限度で正当として認容しその余は失当として棄却すべく、民訴九五条、九〇条、九二条、一九六条に従い主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第一五部

裁判官 北 村 良 一

請求の趣旨

一、被告は原告等に対し、各金十万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日の昭和三五年一一月一〇日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

請求の原因

一、原告内藤暁は、原告内藤修、同三重子との間の次男として昭和三十一年十一月二十一日出生したものであり、被告会社は事務所を新宿区四谷一丁目に、営業所を、渋谷区代々木初台及び大田区大森一丁目に有するタクシー営業を主とする株式会社である。

二、昭和三十五年二月二十日午後三時三十分頃原告内藤暁(当時三年三月)は他の幼児と共に東京都千代田区麹町一丁目十番地所在富士銀行麹町家庭寮前の道路上に佇立していたところ被告会社初台営業所所属運転手の訴外島田和義はタクシー営業のため小型四輪自動車(一九五九年型トヨペツト、車体番号五く五五五一番)を運転して原告内藤暁の前を相当の速力で通過し約十米先に停車、乗客を降車させた後右自動車を後退させて、前記道路上に佇立していた同人に車体後部を衝突せしめて押倒し、左側後部車輪で轢過した結果、同人をして全治迄に五ケ月を要する左大腿骨骨折の傷害を負わせたのである。

三、右原告内藤暁の傷害は全く被告会社の被用者である訴外島田和義が被告会社の業務に従事中その過失により発生せしめたものである。

即ち島田は原告内藤暁が道端に佇立しているものを認識しながら自動車を運転しその前方約十米先に停車した後、自動車から後方にいた幼児たる同人の動静を十分に注意しかつ危険防止のため警音器をならす等の注意義務を怠り唯漫然と自動車を後退させた過失により本件傷害を発生させたものである。

四、原告内藤暁は直ちに九段坂病院に入院、翌二十一日厚生年金病院に転院の上、取り敢えず「けん引器による応急手当」を受けたのであるが当時同人は丸二日間というものは右傷害による苦痛のため全く睡眠不能の状態にあつたのであり、また原告内藤修、同内藤三重子も我が子の苦痛の様子に心痛の余り、丸二日間一睡も出来ず、食事も喉を通らない有様で、ひたすら苦痛の治るのを祈つていたのである。その後三月一日に至り厚生年金病院において「キンチヤーによる髄内固定の手術」を受け、ついで七月十二日に同院における「キンチヤー抜去手術」の結果、漸く同月十九日に全治するに至つたものであるが、現在でも左大腿部には終生消えることのないと思われる二個所の相当の手術痕を残している状態である。

この間原告内藤暁本人の受けた肉体的、精神的苦痛は勿論であるが、幼い愛児の傷害を自己の傷害以上の苦痛をもつて感じ心労した両親の蒙つた精神的損害は誠にはかり知れないものがあるのである。

五、(1) 原告内藤修は昭和二七年三月東京大学法学部を卒業直ちに富士銀行に入行し、日本橋支店、本店外国為替課、室町支店を経て現在本店外国部外国業務課に勤務中であり、原告内藤三重子は昭和二十四年津田塾大学を卒業、昭和二十八年に原告内藤修と結婚し、現在長男牧、(当六年)次男暁の二児と共に平和な家庭を営んでいるものである。

(2) 一方被告会社は、タクシー約三百台を有し相当大規模に営業をなしているものでありながら、本件事故に際し被害者たる原告等に対し何等誠意ある謝罪の態度を示さず、事故係なる者を派遣して事務的にのみ解決せんとしている状態である。

六、よつて被告会社は原告等の蒙つた精神的苦痛の損害賠償をなすべき義務がありその額は傷害の程度、原告等の経歴、被告会社の被害回復のために払つた努力等一切を綜合して原告等に対し各金十万円を相当と考えるので、その支払を求めるため本訴提起に及んだ次第である。

答弁の要旨

一、請求棄却の判決を求める。

二、請求原因のうち、第一項の事実、第二項記載の日時場所において、被告会社初台営業所所属運転手島田和義が右記載の自動車を後退させた際、道路上にいた原告内藤暁に車体後部を衝突させ同人に傷害を加えた事実、被告会社の使用者たる島田和義において、被告会社の事業の執行につき右傷害を加えたものであること、原告内藤暁の入院の事実は認める。その余の事実は争う。島田は後部バンバーを衝突させただけで轢過したものではない。

原告暁は右自動車の後方三米の道路上に坐つて蝋石で絵を書いていたため、島田和義が後退にあたり運転手の座席から後方を振り返つて注視したにも拘わらず見えなかつたものであり、後方注視のためそれ以上の措置をとる必要はなく、本件事故発生の場所のような住宅街ではむしろ警笛を鳴らすべきものではないから、島田にはなんら注意義務を怠つた過失はないのみならず、被告会社も自動車の運行に関し注意を怠つておらず、当該自動車には構造上の欠陥、機能上の障害がなく、本件傷害は被害者たる幼児の原告内藤暁が公道上で前記のように独りで遊んでいた過失に基因するものであり、仮に幼児たるの理由でその過失を云々し得ないとしても、親権者で監督義務者たる原告内藤修及び三重子が原告暁をして前記のように公道上で独りで遊ぶにまかせ放置していた過失があるから、自動車損害賠償保険法三条により損害賠償責任はない。仮にそうでないとしても原告内藤修及び三重子の右過失は、原告内藤暁に対する損害賠償額を定めるにつき斟酌さるべきものである。

原告内藤修及び三重子は、民法七一一条により、原告内藤暁の単なる傷害については慰藉料の請求権を有しない。仮にそうでないとしても同人らの右過失は同人らに対する慰藉料額の算定に斟酌さるべきものである。

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